2009年8月アーカイブ

静かなる天使の叫び

 なんとなく女性向き入っている表紙だが、中身は全然そんなことは無くて、なんというか、本格文芸スリラーといった感じである。なにしろオープニングから事件解決まで40年近い年月をかけて、しかもその間のジャンプがあまりなく(「気がつけば20年」とか)、濃厚に文学している。
    文学的寄り道がやや多く、その見事な書き味に途中で何度もスリラーであることを作者が忘れてしまったのかと心配になるが、最後はちゃんと、良くできた犯人像、大胆な伏線、とスリラーとして正しい着地点に着地する。
 しかしやはり、スリラーとしては、このディテールやいくつかのエピソードの豊潤さはただ事ではない。
 主人公の仕事が小説家であることが、一人称であるこの作品の文学的視点や語り口を正当化しているし、さらに、インテリフェチというか、インテリ女性にもてるので、小ネタや会話の端々が知的香りに充ち満ちている。
 (ただ、それがスリラーということで、最後までその方向を全うしない、......たとえば恋人の死がそのあとの言語的苦悩表現をそれほど伴わない......のは、文学的な方向に魅力を感じた私にとってはやや残念である。しかし、だからこそ、きちんとスリラーであり得たのかも知れない。ここら辺の事情はどことなくクックを思わせる。)
 しかしそれにしても、最後の言挙げによる盛り上がりはただ事ではない。作品に残されたページ数と登場人物の数から消去法でなんとなく明らかになった犯人が、主人公のかなりのページ数に昇る独白の中で、最初は不安として、しだいに確信としてイメージされていく過程は、これはまぎれもない、滅多にない文学的感動を与えてくれる。

 芸術の定義が、「何かの素材で、他の何かを表現すること」であるとするなら、言葉の芸術である文芸は、やはり言葉以外のなにかを言葉を使って表現しなければならないのだと思うが、最近の小説は言葉が言葉であることを目指しているのではないかと思ってしまうことがある。そんな現代に、この方向の試みは喜ばしいし、もっとたくさん成されても良いと思う。

死のドレスを花嫁に

 スリラーだと、けっこう奥義的な殺人方法である"暗示殺人"のバリエーションを扱っている(なんて書くとほとんどネタバレのようであるが、この作品のポイントはそれではないので、ご容赦を)。
 なぜ奥義的かというと、私が思いつく範囲では江戸川乱歩とクリスティがこの殺人方法を扱っていて、江戸川乱歩も明智探偵が「困った事件だ」とか言っていたような記憶があるし(超うる覚え)、ポアロなんて解決のために××が×××という、大変なことになっちゃったわけだし、殺人と非殺人のギリギリの処にある、言ってみれば完全犯罪であるのだ。どういうものかというと、自分は手を下さずに、他人に対して、意識に残るか残らないかの暗示を与え、他人が自らの意志で殺人を犯すように仕向けるのである。つまり高度な殺人教唆ということになるのだが、「殺しちまえよ」というのなら犯罪でも、「あいつのせいであなたはこんなに不幸なんだね」とかなんとか言っているだけなら犯罪にはならないわけだ。でも、その言葉が心のウィークポイントに引っかかっていった場合、暗示された人間はその相手を殺すところまで行ってしまう。
 この方法の鍵は、殺人を実行させられた人間の心理的な綾をどこまで教唆者が理解できるかと言うことで、上述の乱歩やクリスティの犯人はまさにそこに天才的な才能を持っている設定だった。
 実際、私の知り合いに、非常な癒着状態で知人に対して迷惑を与えていた自分の友人のA氏のB氏に対する態度を決定させるために、タイミングを計ってAに対してBのある行動を知らせ、結果としてAとBの関係に決定的なヒビを入れることに成功した人間がいる(コワ......)。つまり私はこの目で見たのだ、そういうことはできるので、小説上の架空の存在であるかのような"暗示殺人"も、実際はあり得るのかも知れない。
 この作品での犯人はそこまでエレガントな天才ではなく、色々動いてそのような状況を作っていこうとしたりするので、まぁ暗示殺人界では幕下的存在ではあるのだが、スピーディーさと無理目ギリギリのどんでん返しの連続で、作品自体はなかなかの佳作となっている。この事件があり得るかと言ったら、ないだろうな。でもディーバーの作品に対して「こりゃぁ無理だろう」という人がいないように、この作品もリアリティとは別の妙味を持っているので、なんだかんだ言いつつ多分ほとんど一気読みになると。
 ともかく、暗示殺人というのは、他人の意志を別の人間が作ってしまうので始末に負えないのだが、考えてみると、暗示やはっきりと意識化されないほのめかしを使って、他人の意志に干渉すること、そのような心理操作は、首尾にかかわらずたくさんあり、人間界の法ではもちろん何ともできないのだが、閻魔さまはちゃんとそのような悪魔的な犯罪をカウントしていて、死後にはきっちり落とし前を付けられそうなのが怖い。

 さらによく考えると、このような暗示を人間はお互いに与えあっていたりして、それはもう人間の業というものかなと。
 前述したMandal-Art(マンダラート)だが、なかなか発売される気配が見えない。
 作者の今泉氏によるインフォメーションもあったのだが、もう予告日をずいぶん越えてしまっている。ソフト自体はApp storeの認証待ちということだが、その内容に問題になる点があるとは考えにくい。(App stere が混み合っているのか?)
私は多分生粋のマンダラートファンなので、1500円を握りしめて発売を心待ちにしているのだが、マンダラート、音無しの構えである。
 実は、先々週の発表会で制作者の今泉氏が気になるコメントを言っていたのだ。その言葉を聞いた(正確にはWeb上の記事で読んだ)私は、内心嫌な予感がしたのである。氏は言ったのだ、「泳げる頃には出ます」
 これはご存じの方はご存じなのだが、歴史的な因縁のコメントなのだ。
 NEWTONの日本語環境について、当時アップルの営業課長(?だったかな)原田氏が発表したコメントなのである。「泳げる頃には日本語版を見れるでしょう。」
 しかしその後、アップルによる日本語環境が発表されることはなく、時代は下ってNEWTON 末期、サードパーティーから日本語環境付きで出た時は、出荷の発表前にサイトに浮き輪のマークが出されるという(泳げる頃だよ、という......)呪われた?名セリフとなったのである。
 関心のある方は「泳げる頃には」と検索してみて欲しい。日本のデジタル文化カルチャーの一断片を垣間見ることになるだろう。最終的には。iPhone日本語版発売の時も使われて、汚名を晴らしたかに見えた。見えたのだが......、さてさて、どうなることやら。
 (しかし、現日本マクドナルドCEOの原田氏、自分の名前まで幸って変えちゃったんだね......。なかなかの大人物ぶりだが、しかし洒落にならないかも知れない......。)
 東北地方では今年、梅雨明けせぬままに秋を迎えるという......つまり泳げる時が来ないのだ。いやいや、早く泳げる頃になることを、心待ちにしています。 ========================

8月20日、なかなか気を持たせたが、やっと発売されだした(iMandalArt)。ちょっと重いところがあるが、ほとんど期待に違わぬ出来であるようだ。良かった。
天候は不順で、夏か秋かも分からないようなところは確かにある今日この頃だが、本日輪行した境川の土手から見ると、どこぞのガキんちょが水泳していたので、まぁ泳げる頃なのだなぁ、と......(^o^)

注射器の針

 私の部屋の金魚が転覆病になってずいぶんになる。転覆病というのは、結局原因不明の魚の病気で、空気袋が膨らんでしまって魚がひっくり返る奇病だ。そのうち治る場合もあるというので隔離の上放っておいたが、風船のように膨らんだままでしぼむ気配がない。しばらく前から治療法を調べていた。
 この病気は、確たる治療法もないのであるが、注射器で腹部の空気を抜くと良い場合があるらしい。
 で、注射器を買おうとしたのだが、これが売っていないのだ。(最初は、昔あった「昆虫採集セット」みたいなものがあるかと思ったら、これも過去の遺物であるらしい。......しかもあの「保存液」がそもそもまるっきり偽物だったというのだ! がえ〜ん......、でもこの話は置いといて......)
 NETで注射器の販売を調べたが、......そもそも注射針無しのものしかおおっぴらには置いていないし、どうやら針付きのものは危ない目的のものらしく、いかがわしい匂いというか、うすら暗い臭気ががぷんぷんで、調べているうちに具合が悪くなってきた。パーティー用って、あんた......。
 で、今日はたまたまDIYショップの近くを通ったので、探してみたら、ありました。「ホビーや細かな作業用」ということで、針付きの注射器。でも残念ながら、針の頭が平たい状態だ。そんなものを金魚に刺したら七転八倒になってしまうではないか、......そうだ、研げばいいんだ。 ということで、針付きの注射器とダイヤモンド砥石をセットで購入したのだが......、
 ......自意識過剰かも知れないが、これは恥ずかしい買い物だった。悪い目的ではないんだけれど、自分の風体を考えても、ぜったいヤバイよなぁ......。

 ※夜に針を研いでみました(↓)。もう少し鋭くないと、うまく金魚に刺さらないようです......。でも、金魚って痛覚は無いんですかね?(失敗したのだがあまり痛がらなかったよ......)

IMG_1253.png

マンダラートについて

 iPhone版マンダラートが出るらしい。
 といっても、そもそもマンダラートとは、何のことか分からない人が多いと思う。私自身も初めてこのソフトと出会ったのがどこか忘れてしまった。
 いずれにしても漢字トーク時代の話である(あ、これも?)。ハイパーカード版のアプリケーションを所有している。次にNewton版が発売された。細々とした変更点はあったが、基本的には同じソフトである。これも所有している。(が、ダウンロード販売なのでデータがどこへ行ってしまったか......)
 これは私にとってはNewtonのキラーアプリであった。なにしろ、どういうわけか、起動して使っているとNewton本体の調子が良くなるのだ。(多分、余計なメモリも含めてフリーな状態に解放してくれていたのではないかと思う。現在では、iPhoneの『大辞林』というソフトが、デバイスに対して同じ働きをするようだ。)
 その後、Win版とか出たのであるが、これはお試し期間の一ヶ月だけ使って、その後購入することはなかった。(これは、価格の問題と、Winで考えようとすると安心して思考をめぐらせられず思考停止になってしまう私の性癖によるものである、多分)

 さてさて、Newton亡き後、ハイパーカード亡き後、私がマンダラートを使わなかったかというと、そんなことはない。大きな声で言っていいのかどうか分からないが、ファイルメーカーを使ってせこせこ自作していたのである。
 ろくなものはできなかったが、しかしまぁこれは、ファイルメーカーの勉強になった、とは言えるだろう。あまり多用はしていないが、時々は使ってみている。実はこの文章の流れも松村謹製マンダラートもどきで作られているのだ......。

 似たシステム?に、今をときめくマインドマップがある。
 基本、同じ考え方かとも思うが、実際に両方を使ってみると、その違いは案外大きい。

  ・全体が見えることと部分のみが見えること
  ・数が少なくてもいいことと、8つのマスを意識せざるを得ないこと

 これがかなりの違いになるのだ。
 どちらが良いというのは好みの問題もあり、簡単には言えないが、それぞれ使うに相応しい場所があるように思う。あえて言えば、集中と拡散のマインドマップ、流れと整理のマンダラート、といった感じだろうか?

 さらに最近はフィッシュボーンというのもあるようで、これはマインドマップとマンダラートの中間点のような印象を受けている。いいとこ取りとも言えるのだが、悪いとこ取りとも言えるわけだ。ただし、個人的なものでなく何人かで扱うようなデータだったら、これが良いかも知れない。東大の学者さんが考案した方法だそうである。

 マインドマップは、そもそものスタートを、......一般に知られているとは違い、おそらく、神智学系の瞑想法に持っている。集中の練習で、中心に犬とか猫とか、テーマを書いて、そこから線を引っぱって、テーマに関係するもの、尻尾だとかツメだとか四つ足だとか優雅だとか、放射状に書き込んでいく、という方法だ。おそらくこれが、意識的か無意識下はともかく、ブザン氏の発想をインスパイアしたのだと私は思っている。

 では、マンダラートは、......これは、インスパイアではないと思うのだが、この形はアウグスティヌスあたりの使っていた記憶術の枠と同じ形である。紀元一桁世紀から、何かを考える時に使われてきた形状かと思うと、なかなか身が引き締まる思いがするのである......。
 もちろん私はこれをそれほどばりばり使っているわけではない。しかし文章の流れを作る時は、便利であるし、一週間のスケジュールとかも独特の見渡しやすさがある。  というわけで、iPhone 版マンダラート、待ち望んでいたのだが、まさか本当に出るとは思わなかった。そろそろapp storeに並ぶはずである。

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8月20日、なかなか気を持たせたが、やっと発売されだした(iMandalArt)。ちょっと重いところがあるが、ほとんど期待に違わぬ出来であるようだ。良かった。
結局、マンダラートって、単なる良くできたフレームなので、色々なことがその中でできてしまい、他のソフトのタスクを浸食していくんだよなぁ......。




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