大聖堂

※以前の記事ですが、なんだかデータがおかしかったので再up

 読んでからかなり時間が経っているのだが、正直、なかなか他の小説を読む気にならなくて困っている。そのぐらい濃厚で重厚なドラマが展開する。こちらの感情を鷲掴みにするストーリーティリングは、そこらのエンタメ小説が10冊束になってもかなわないぐらいだ。
 本の値段というものは、体裁や厚みで基本ラインが決まるように思うが、この値段を見ると、それがいかにいい加減な取り決めかしみじみと感じざるを得ない。この小説がほにゃらら2冊分と同じ値段だなんてまったくもって信じられない。
 これを読んでも読者の人生観は変わらないだろう。楽観的や悲観的、ずーずーC的、色々な人生観のベクトルは、これを読んだところで少しも変わらないと思う。しかし、それはエネルギーを得、厚みを増し、豊かになる筈だ。そしてそもそも小説の役割は、それに尽きるのではあるまいかね?

 で、気になった点をいくつか。

・中巻の第三部の後が見出しが第二部になっている。>出版社の単純ミス。なかなか豪快なミスです。

・時々出てくるエロとグロの描写が、非常に冴えているのは何故?

・中盤までの主人公は、石工なのだが、石工といえばメーソン、メーソンといえばフリーメーソン、であるが、この作品にはメーソンのメの字も出てこない。本来なら、中世の石工が出てきてフリーメーソンが出てこないなんて麺の入っていないラーメンみたいなもので、なんか嘘っぽいのだが、これはなにかワケがあるのかも。(一番単純なところで、作者がカトリック、とか......、いや、作品の内容を考えるとそうとも言えないのかな?)
 そういえば、これを読んで他の小説を読む気にならなくなった私は、次にエッセイとかを読みました。(SB文庫)(2006年3月14日)

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