若後家さんMe

 個人的なことだが、最近の清志郎と栗本薫の相次ぐ他界は、自分にとっては、日本カルチャーのシンボルたちが次々と消えていってしまうような、虚無的終末的な風景に見える。彼らは、もちろんメディアの人たちだったのだが、同時に精神性というものも持っていて、それは数十年にわたる彼らの活動を観ていると、その「文化的行動」、「仕事」の中になんらかの「精神性」があるのが感じられるのだ。それぞれ最後には「自転車」とか「やおい」とかに帰着?したとしても、それは彼らの人生を貫く精神性の発露だったとすると、違和感なく納得できる。
 その後のタレントや文化人の場合、見えてくるのはビジネス性と広告性、プログラムによって動くロボット性ばかりで、本人の精神性は(いくら私でも無いとは多分言わないが)感じられないことが多い。色々やっているが、結局プロダクションが企画したんでしょ?、それを演じているだけでしょ? といいたくなるような。
 日常でテレビを観ない私だから、もちろん不勉強であると言えるのかも知れないが、演出や企画ではない、かつ単なるゴシップでもない、文化人、有名人の文化的活動があったら、教えて。

 ちょっと話は飛ぶが、ヨーロッパだかオーストリアだかの学校に通った帰国子女が日本の学生たちを見て、その「精神」の欠如にかなりの不信感を覚えたという話を最近聞いた。人間全体のバランスの中で「ファッション」に関わる部分が突出していて、その分「精神性」が陥没しているような印象を受けるという。
 スイスだかオーストリアだかの学生の場合、割と服装等は貧乏くさかったり気にかけなかったり、しかしその一人一人が一個の人間として何かを探求している感があり、一人一人の存在感がある、と。

 そうなんだよ、娘さん。日本の学生たちはファッション誌だの「空気」だのを自分のプロダクションにしていて、その「演出」によって生きている部分は確かに大きいんだ。
 彼ら自身が「プロダクションの言いなりのタレント」(by清志郎)で、だから彼らのアイドルは彼らの「先輩」でしかないんだね。
 昔は、タレントや文化人の中にも自分の「精神性」を持っていて、その「精神性」から活動や日常生活を行っていた山男のような人たちが何人かいたんだよ。それでもそんな人たちは次々と早々に天に召されてしまって、後はほんの少ししか残っていないんだ......。

          娘さん、よく聞けよ
          山男にゃ惚れるなよ
          山で吹かれりゃよぉぉ
          若後家さんだよ

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