2009年2月アーカイブ

再びダイエットか?

一応背中の謎の痛みが一段落したので、再びダイエットを考え始めている。とりあえず、夜に食べていたスナックを止めてみました......。はっ、腹が減った......、くくく......。
Books【灰夜 新宿鮫Ⅶ】

灰夜 新宿鮫Ⅶ

すっかりファンです、新宿鮫の7冊目。しかし前々作あたり、微妙な盛り下がりがあったような気がするが、再び上昇気流? 今回は人質ものです。最初から最後まで人質でひっぱります。

しかし主人公が微妙になんとなく少しだけ青臭い感を醸し出してきているのは、シリーズ長期化の問題点、「キャラクターが説明過多になりすぎる」現象のせいかも知れない。多分これは、


・キャラクターの色々な面を描こうとする

・なので色々説明してしまう


という一種の落とし穴か。気をつけなくては。

たしか最近読んだ本の中に、「(小説の)登場人物は、説明が穴だらけの方がいい。その方が読者が想像してくれる」というのがあったが、これは一面の真実であるのかも知れない。



(光文社文庫)

再び背中が......

痛。どうも子どもを自転車に乗せて走ると傷むみたいだ。治ったと気を許して普通に動きすぎたようだ......(+_+)
Booksに、【白川静 漢字の世界観】

白川静 漢字の世界観

 日本のシュタイナー教育の中で、国語の扱いはなかなか難しい部類に入るようだ。以前、日本のシュタイナー教育構築のために来日していたシュタイナー教育の「先生の先生」に、「日本の子どもたちに漢字を教えるメソッドを考えたい。なにか良い参考書を探してくれ」と言われて、かなり閉口した覚えがある。実際に探したのだが、漢字をその本源的なところから説明してくれる本を、当時の私は見つけられなかったのだ(シュタイナー教育だから、本当に深い部分から取り上げなければならない。意味の羅列とかは、はじめから問題にならない)。洋書の中から、テキトーなものを探して渡したような気がする。確か、何の反応もなかったな(泣)。
 すみません、当時の私がこの本を知っていたら、迷わず白川静の辞典を渡しただろう。それがこの短期間で実際のカリキュラムに結実したか、現場の教師たちにそれを教える能力があったかどうかは、また別の問題として......。

 一冊の本は、それを読むことで一つの新しい世界を与えてくれるものであるべきだと思うが、これは私にとってまさにその様な本であった。電車の中やコンピューターのディスプレイで日本語の文字面を眺めていると、そこに今まで見えていたものとは全然違うものが見えてくるのである。

(平凡社新書)

Simplify

同僚の講師に教わったiPhoneのSimplifyに驚愕。家でMacなりPCなりを立ち上げておいて、そのiTuneから音楽をiPhoneにダウンロードするというシステム。どんなに大量のライブラリがあっても大丈夫という、かなり画期的なシステムだ。......って、メインマシンを常に持ち歩いている私には、ひょっとして関係ないか......(爆)
Booksに、【十の罪業 BLACK】

しかし、私の環境では音質がイマイチだった。途中、細い無線LANをかませているからなぁ......。春に色々環境をいじるから、その時までお預けかな......

十の罪業 BLACK

【永遠】 ジェフリー・ディーヴァー
新しいキャラクターをどんどん生産中のディーヴァー卿、今度は数学者で来ました。
まぁそこらへんのある意味あざといところが全然イヤミにならないところが卿の卿たる所以なのですが。
作品は、小技全開、いつものディーヴァーでした。最後が、ディーヴァーにしても思いがけない展開で、やはり、......あぁ、やっぱり驚かされてしまった。パターン的な前例は多分いくつかあるのだけれどね。この作者がそれをやってしまうのが驚きで、まぁ身を挺したトリックという感じ。しかし、この世界観だと続編を長編化できないではないか、それでも無理矢理力業でやってしまうか、おとぼけで今作の落ちは忘れて他のシリーズ作品に同化させるか、興味深いところです。

【彼らが残したもの】スティーブン・キング
前のディーバーが、この「中編集」中一番の長さになっているのに比べて、キングはかなり短い。作者のキャラクターを示したような、なかなかの好対照になっております。作品は、9.11をめぐってのホラーテイスト都会ファンタジー。キングの本質って、ファンタジーというか、悪く言うとラッセンの絵のような感じかも知れないな、と思い始めました。ラッセンの絵によって現代人の色彩感覚の少なからぬ部分が破壊されておると私は確信しているのですが......。

【玉蜀黍の乙女 ある愛の物語】ジョイス・キャロル・オーツ
〽フランシーヌの場合は、あまりにもお馬鹿さん、フランシーヌの場合は、あまりにも哀しい......、って、知ってる人にはネタバレしてますけど、そのような感じのオチ。ちょっと唐突すぎて、あるわけがないと思ったのだが、このフランシーヌの歌を思い出した......。あれも実話ですからね。あるんですね、こーゆーことが......。乙女心ってこんなんですか? あと、髪結いの亭主ですか、同じテーマは......(全体のテーマではないですが......)、やはりあるのか......。浅学にして違和感が多く残ってしまいました。

【アーチボルドー線上を歩く者】ウォルター・モズリイ
アーチボルド、カッコいいです。思えば幼い頃は同じ街の中に「おにいさん」がいて、これが大人の匂いを漂わせてカッコよかったのだが、今の都会の子どもたちにもそんな存在はあるのだろうか? あるいは、ある程度歳がいっても、「兄」的存在は本当はあった方がいいのだろうが、残念ながら批判とモラハラの現代では、そのような存在であるのは容易なことではない。このアーチボルドのように半分いかれている方が、批判やモラハラの攻撃を最初から受けつけないあり方の方が、「兄」になりやすいのかも知れない。

【人質】アン・ペリー
これもかなりの極上品。頑固オヤジの奥さんが犯罪と夫の頑固の間に立って中間管理職のように戦う話。抑えたタッチが逆に迫力を感じさせ、それにしても女性心理がよく出ている、リアルだ、......と思って、この作者を調べたら......、す、凄すぎます......、この経歴。ホンマかいな。わが目を疑いたい方はWikiとかで調べてみて。事実は小説よりも奇なり、きっと日本だったら作家活動できなくなったりするんだろうな。自分の無知を恥じました。世界って本当に面白いですね。

(創元推理文庫)

自転車でも

やっと背中に回復の兆しが......。普通に自転車に乗れることが、なんとまぁありがたい!
ありがたやありがたや。
After_P3's"目が腐る"こと

"目が腐る"こと

 私も若かりし頃、美術系の浪人生だった頃は睡眠マニアだった。今でも「寝れば病気のほとんどは治る」と確信しているぐらいで、睡眠に拘ることにかけては人後に落ちない自信があるが、新陳代謝の固まりである20歳前後のそれには全然かなわない。なにしろその年頃は激しく入れ替わる細胞が爆睡を欲しているのであるから。

 あゝ、若い肉体!

 というわけで、予備校には午後にならないと来ない者、それどころか終了30分前にやって来て道具だけ並べて帰る者など、爆睡者が続出した。(そういえば、「爆睡」という言葉自体、はじめて聞いたのは美大だったと記憶している)

 そんな睡眠マニアたちの間で怖れられていたのが、「目が腐る」現象である。

 たくさん寝た後のデッサンで、形状が狂ったり調子がおかしかったりする問題で、これは充分な(あるいは適度な)睡眠時間により眼球がイカレてしまう現象と考えられていた。悪化すると「目が死んだ」と言われた。実際に、目が痛かったりもしたものである(往々にして美術系は神経過敏である)。

 そして、目が腐らないための条件として、経験論的に「睡眠時間6時間」という説が流布していた。これは、今でも本当であったと思っている。しかし、体の皮肉というか、当時は6時間ではどうしても意識の睡眠不足感をぬぐえず、結果として、「目が調子よければ頭が眠い」、「頭が快調なら目が腐っている」という恐怖の二律背反があるのであった。

 今になると、人間というのは複合的な存在であり、あちら立てばこちら立たず、全体として快調という状態ははなはだ困難で不可能なことだ、と。各々の器官が一つの条件に「良い」だの「悪い」だのとバラバラに反応してしまうので、簡単な割り切り方で全部OKにはならないのだなぁと思ってしまう。

 そして、そんな複合性・多義性は道徳的にも同じであって、何かの道義的な行動......、たとえば仕事熱心、とかが、周りにとってはとんでもない悪徳であることなども、やはりあるのである。

 閻魔さまは我々の何を裁くだろうか......。


 ※ちなみに、デザイナーの場合、モニターを1時間見たら10分目を閉じる、という形で眼球はかなり積極的に休ませることをお勧めします。息抜きにインターネットとかゲームとかはいけません。現代社会は、「眼球緊張しっぱなし社会」ですから。



続く闘病?生活

基本的には寝ているだけなのだが、闘病生活が続く。
Booksに2005年度の春あたりを追加。ちゃんと改行が入るようになりました......

木の芽時かね?

どうもこの頃になると体調がおかしくなる。今年は背中・首・頭と体幹に関わる部分が総攻撃にあっているようで、ほとんど半病人状態である。とほほ......。
AfterP3'sに、モンティ・ホール問題

モンティ・ホール問題

あるクイズ番組の中の一コーナーの話である。

回答者が三つの閉じているドアの前にいる。
このうち一つは「当たり」でピカピカの新車が入っている。
残りの二つは「外れ」で、山羊が入っている。

回答者は一つのドアを選ぶ。
そのドアが当たりなら、新車は彼のものになる。

回答者が一つドアを選んだところで、司会者(彼がモンティ・ホールらしい)が、選ばれなかったドアの一つを開ける。もちろんそこには山羊が入っている。
......ドアは二つ残っているが、そのタイミングで必ず司会者は回答者に、
「今あなたが選んだドアを変えるか、そのままのドアを選び続けるか」と訊ねるのだ。

ここで回答者が元のドアのままでいた場合と、ドアを交換した場合で、車が当たる確率が変わってくるというのである。ドアを交換した方が、しないより倍の正解率になると言うのだ。

さて、なぜでしょう。

これが、モンティ・ホール問題といわれ、植島啓司の本で知り、面白いと思ったのでNETで調べたところ、どうやら容易にサイトの火種となる問題であるらしいことが分かった。難しい問題なので、これについて何か書くと、たちまちの内に難しい頭の人たちが大挙して書き込みをはじめ、コメントの流れ的に破綻したテキストの大河になってしまうのだ......。おお、コワ......。

解決法も、無数の数式(私にとっては3行以上だと無数なのだ......)を羅列したり、フラッシュで解説したり、さらには結果を確認するアプリケーションを作成した人までいて、何を今さら私などが、という観が横山大観なのだが、あくまでも私なりの理解と言うことで、ここに説明してみたい......。

さて、なぜに外れドアがひとつ開いた後で選択し直すとあたる確率が増えるのか。

最初にドアをひとつ選んだときにそのドアが当たりである確率は三分の一だった。

さぁ、これは誰も文句がないであろう。問題は次なのだ。

次に外れのドアがひとつ開けられたときに、自分の選んだドアのあたる確率はまだ三分の一である。

えー、これがOKなら、この問題は解決なのだ。さぁ、どうでしょう。今では閉じられているドアは二つなのだから、確率は2分の1ですか?
しかし、自分が選んだドアが当たりか外れかは、選択を変えていないのだから、先ほどの時点と変わっていない。 
ならば、ドアが二つになった今もその確率は変わらず三分の1になる。

しかしこの段階でドアは二つ。その一方のドアのあたる確率が三分の1なので、残ったドアの確率は三分の2になる、と。

ということで、私的にはこの問題が解けたのですが、どんなもんでしょうな?
(一応、ちゃんと統計を取ると、ちゃんと、選び直した場合の方があたる確率が、そのままでいた場合の倍近くになるそうです)

いやいや、人生は不思議です......。


財布忘れて......

職場への途中から家に戻る......。そんな春を待つ一日でした。
Books「偶然の力」植島啓司。

偶然の力

 初版が一昨年である。出されてすぐにざっと目を通したが、後でゆっくり読もうと思って忘れていた。それがこの前、机の角からひょっこり現れたので、ついつい再読してしまった。
GTDにしろ、ポジティブ・シンキングにしろ、基本的には「選択」(よりよい選択)をするように我々を促している。「スピリチュアル」から「ビジネス書」まで含めて、世にあふれている啓蒙思想は基本的には、得なAと損なBの選択肢がある場合に、得であるAを選択すれば得である、という論理なのだ。しかしこれの実践は大抵はなはだ困難である。なぜならAとBのどちらが得なのか本当に知る方法はないのだから......。

ところが本書は、冒頭いきなり大切な場面、大事なことは「選択すべからず」とぶちかましてくれる。もちろん、最初はギリギリまで選択していって、最後の最後で選択を放棄する、ということだが......。 基本的には、凡百のビジネス書・人生書(?)と同じテーマ、「運・成功」というテーマを扱っているのだが、なにしろ老いたとはいえ東大四天王植島啓司の著作であるから、非凡なレベルからの見解ではあり、簡単に評価はできないことがらでもある。人間は老いていく時には、このようなことを思索するべきなのだろう。

色々な話題があるいのだが、特に気になるのは、モンティ・ホール問題だ、......しばらくの間はまってしまった......。これについては別に記事を立ててみたいと思っている。

一応、さわりとしてこれがどういう問題なのかだけ書いておきたい。

あるクイズ番組の中の一コーナーの話である。

回答者が三つの閉じているドアの前にいる。
このうち一つは「当たり」でピカピカの新車が入っている。
残りの二つは「外れ」で、山羊が入っている。

回答者は一つのドアを選ぶ。
そのドアが当たりなら、新車は彼のものになる。

回答者が一つドアを選んだところで、司会者(彼がモンティ・ホールらしい)が、選ばれなかったドアの一つを開ける。もちろんそこには山羊が入っている。
......ドアは二つ残っているが、そのタイミングで必ず司会者は回答者に、
「今あなたが選んだドアを変えるか、そのままのドアを選び続けるか」と訊ねるのだ。

ここで回答者が元のドアのままでいた場合と、ドアを交換した場合で、車が当たる確率が変わってくるというのである。ドアを交換した方が、しないより倍の正解率になると言うのだ。

さて、なぜでしょう。

これがモンティ・ホール問題。
私なりの解答はまた近日中に......(^_^;;

(集英社新書)

行ったり来たり

なぜか忙しくてあちこち行ったり来たり。電車が多いと読書が進みます......
Books、【十の罪業】にローレンス・ブロック分を加筆。

トンボ返り

都内某所で配布される資料を作っているのだが、終了し、作業部屋から自宅に戻ったとたんに修正の連絡。トンボ返りした。
Books【十の罪業】

十の罪業 RED

なんだかとんでもないメンバーの中編集である(とくに下巻、BLACKの方)。わざわざこの企画のために新作を書き下ろしたようだが、内容には色々理解の違いがあるかも。


【憎悪】エド・マクベイン


八七分署シリーズって、名前は知っていたが未読だった。56冊もあるんだと、驚愕。その新作。

作者が編者だから、これが本来のこの中編集の作品のプロトタイプなのかも。未読であるが、シリーズをコンパクトにまとめた感じ。雰囲気はいいのだが、シリーズのファンへのプレゼントみたいな感じか......。


【金は金なり】ドナルド・E・ウェストレイク


これもシリーズもののコンパクト版。ユーモアスリラー?らしい「ドートマンダー」シリーズの一篇。でも、このオフビートさは面白いかも......。

でも、「憎悪」と合わせて、これが続いたらカタログを買わされたような気になったに違いない......。


【ランサムの女たち】ジョン・ファリス


これはやっと面白かった。ネタがネタだけにかなり面白かった。ただ、やや説明不足か。個人的には、末尾にあと4〜5ページ欲しいところ。そのかわりオープニングの10ページくらいは要らない、と。

ネタ? 金持ちの画家が、モデルを一年契約で弟子兼専属モデルにするの。当然愛人か、と思うじゃない? そんで、気が狂うほど嫉妬した彼女の婚約者が今までのモデルのその後の調査をはじめると、彼女たちはみんなほにゃららで......。

芸術家をネタにした作品は面白いのが多いのだが、これもなかなかだと思う


【復活】シャーリン・マクラム


懐かしすぎなんだが、高校の頃に読んだ「暗黒太陽の浮気娘」の作者の作品。しかし、浮気娘の方は全く内容を覚えていない、それどころかSFか推理物かも忘れていた(爆)。......邦題がインパクトがあって、かなり気に入っている。

ところで、復活。これ、一種の医学物で、かなりの変格作品。解剖用の死体がない医大のために死体泥棒を仕事にした奴隷の話。描写はかなりのリアリティを感じる。黒くない黒人がいっぱい。スリラーでなくて文学だが、かなり面白かったです。


【ケラーの適応能力】ローレンス・ブロック


この作者さんは、以前に「小説入門」(だっけ?)という本だけ読んだことがあって、それは小説家の基本能力としてヴィジュアリゼーション(視覚化)を考えていることに感銘し、知人などに勧めていたのだが、不思議なことに他の著作、本業のスリラーは読んだことがなかった。

いやいや、やはり創作論が気に入ったということは作品も気に入るに違いないと、何度か本屋さんで手に取ってみたりしたのだが、立ち読みで拾い読みする範囲では、あまり食指が動かなかったのだ。

......地味なんだもの......。

それがこの中編集では、上巻中ピカイチの出来、めっけものでした。

ただ、基本的なストーリーラインは地味なのだね。でも、この人の語りの本質はストーリーの派手さではなく、小説としての世界観の完成度にあると思う。人間心理を含めて、凄まじい密度のイメージを感じるのだ。ストーリーは地味でも、濃厚な色合いや質感が感じられれば、小説は十分に読む意味がある。

冒頭の信号機の歴史をめぐる考察から、最後のゴルファーの心意気(「時間は?」)に至るまでたっぷり堪能いたしました。

しかし、やはりこの中編が単行本や文庫本で出ていたら、読んだかどうか分からない。その意味で、編集モノもいいものだな、と今さらながら気づいたのだった。



......というわけで、上巻はおしまい。あまり作品を読んだことのある作者がいなかったのだが、下巻は大変なのだ。......ジェフリー・ディーヴァーとキングが巻頭を飾るのだ......、をいをい......

突然雨やむ

予報では雨降りのはずが、けっこうやんだね。
家事で一日。
After_P3'sに、「コンピューターと集中」

コンピューターと集中

 iWork09が発売された。iLife09に比べて地味なバージョンアップだが、その中でPagesの追加された機能が、個人的には注目株である。  アウトライン機能と、全画面表示機能なのだが、前者はほとんど私の趣味だからまぁいいとして、ここでは後者の持つ意味を考えておきたい。
「そもそも、なんでコンピューターは存在するのか?」
と、改めて考えてみると、まぁ何らかのクリエイティブな作業のためと思う(いたい)のだ。ところが、クリエイティブな状態に対して、その道具であるはずのコンピューターのシステム自体が破壊的に作用する部分がいくつかあるのである。

 ひとつは、音だ。ファンの風切り音、というのか、ともかくマシンを稼働させると出て来る音が、これは思考作業にかなり大きな影響を及ぼす。ところが、常にコンピューターを愛用している人間は、思考作業の時は大抵マシンの前に座っているので、この音の影響に気づかない。この面に関しては、少しずつの進歩が見られるようで、まぁ将来に期待、という感じだが、集中して思考する人間は、蛍光灯の音さえ邪魔に感じることがある、ということを、マシンの設計者の方々には覚えておいていただきたいと思う。そして、深い沈思黙考は、誰でも相応しい沈黙の中でないとほとんど不可能である。

   で、次がGUIだ。これは、音の例より多分分かりやすい。通常のデスクトップで、ウインドウがいくつか重なって開いているような状態は、気が散るのである。アイコンやウインドウの端のバー等は、気にしていないつもりでも、実はかなり潜在意識に影響しているようだ(さらに言うと、実は気にしていない・意識していないことほど潜在意識に対する影響は大きいのである)。

 この事実に気づいたのは、遅まきながら、MacJournalというソフトを使っている時に、「全画面モード」というモードを興味半分で使ってみた時だった。いつもよりも意識が集中するのが簡単で、その時間も長かった。それまでは、単なるCUIへのコンプレックス解消かなぁ、程度の認識だったのだが、使ってみてはじめてその意味が理解できたのだった。

 なので、あたらしいMacBookの全面黒いデザインを見て、これは多分アップルのデザイナーも同じ問題意識を持っていると思ったのだが、さらにPagesの全画面表示が原理的にはMacJouenalの全画面モードと同じものだったので、これは非常に納得した次第。毎度なから、さすがjobs。としきりに感心している。

 他にも、コンピューターが人間を劣化させる危険性をはらんでいる部分はいくつかある。しかし大切なのは、私たち使用者が自分自身のコンピューターによる劣化に十分意識的になり、それを補う何かを自分自身に課することだと思う。
 人間全体のことを考えている人は、多分実際はほとんどいないのだから......。




for iPhone

カテゴリ一覧

アーカイブ

Powered by Movable Type 4.23-ja