2006年1月アーカイブ

魔術師の夜

キャラクターが出色。これは忘れられないかも知れない。一種のアルツハイマー症である老マジシャンが、昔死んだ妻の霊の心霊現象を、手品で自分の周りに起こし続けている。つまり彼の周りでは、灰皿に口紅の付いた吸い殻が現れ、グラスのワインは少しづつ減っていき、状況に合わせてラップ現象が起きる。すべて彼がやっているのだが、失われた女性に対する愛情から、自分の周りに彼女が引き起こしたであろう現象を起こさずにはいられないというのは、誰でも涙落としこそすれ非難するわけにはいかないだろう......。(もちろん、小説であるから裏はあるのだが......) 彼の生き方は、『思い出』とともに暮らすことの完全なメタファーである。 で、私たちは誰でも多かれ少なかれ記憶と共に暮らしているのだが、実は記憶はかなりいい加減である。 美化されたり醜化されたりするし(感情による歪曲)、当初意識しなかった諸々の点が抜け落ちていたり(無意識の脱落)する。つまり現実のコピーであるということなら、記憶ははなはだ心もとない存在なのである。記憶は理念化され、現実の持っている曖昧さや複雑さや猥雑さを失ってしまいがちなのだ。これら雑多なものは、面倒なのであるが、実体であるならば持ち合わせているはずのもので、それを本来持ちえない私たちの記憶像は、非常に寂しいものなのである。だから、私は小さい頃から、思い出には全然満足できなかった。それがどんなに美しいものであっても。(創元推理文庫)

キングコング

2回目のリメイクである。以前のコングは、全長15メートルだか20メートルだかの実物大コングを作成し、一部のカットで使ったという文字通りの大作映画だった。多分私が小学生ぐらいの時に新宿で観たのだが、今回も同じ劇場で観た。奇遇である。 やはり3時間の上映時間は、作品の内容以前に尻が痛くなるという問題があった。タバコやトイレも問題である。まぁがんばって観ました。 今回は、時代の流れを反映してCG主体の映像である。(しかしシナリオは、旧作を真面目に踏襲しているようで、古い映画の香りが漂う。実は個人的にはここらへんが一番ポイントが高いのだが、残念ながらCGとは関係なかったりする......) コングの毛の流れ等は、脂ぎって穢い感や、寝癖まで意識していて、やややり過ぎの感はあったが、まぁこうなるだろうな、という感じ。顔の変形アニメは、この手のCGのひとつの到達点を示していると思う。問題は合成である。コングにつかまれた女性の動きが、特に首の動きであるが、移動の影響を受けない動き方で、リカちゃん人形みたい。場合によっては全身の移動が手の動きに一致しない。昔の合成のようである。もっともこの監督の場合は、わざとやったかもという気もするが、かなり気になっってしまった。CG全開の後半は、私の職業病が出てしまい、映像的アラに目がいって目がいってしょうがなかった。 まぁ、監督はCGを見せたかったわけではないだろうから、仕方ないのかも知れないが......。 映画として見れば、やりたかったことはよく分かる。しかし、検討され尽くしたシナリオは、理が勝ちすぎて不条理の根源的パワーを発揮できないかも......。コングの知能程度から感情の流れまで、詳細に描き込まれている。それが、コングをコングではなく、登場人物にしてしまっているのだ。これは、皮肉な事態である。大体、キングコング(や、ゴジラ等の大型怪獣)は、不条理と力の象徴のようなものなのだから......。()




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