聖骸布血盟

例の『ダ・ヴィンチ・コード』以来、雨の後の竹の子族よろしく乱発されるキリスト教秘史モノの一冊。 最近10年のこの手のブームというと、太古の『サイコ・スリラー』モノ、古代の『ハードカヴァーファンタジー』モノ、があり、その後にこの『キリスト秘史』モノが来たと思う。 最近読んだ何かの小説の中に、アメリカで日本の出版社のサイコ・スリラー翻訳出版権を手当たり次第に買いたたく様子を揶揄する描写があり、はぁぁ、という感じだったが、まぁなんでもいいので出版される本の数が増えるのはカルチャー状況的にめでたいことではあるのだ。 なんだかんだ言って、私の人生もそれなりに色々あったことだし、出版界の動向を逐一追っているわけでもない *1 のだが、多分今から25年ぐらい前に『SFブーム』というのがあったのである。当時はSF関係の雑誌だけで4誌ぐらいあったのだぞ、凄いだろ? ところが、このブームの面白い点は、ブームのさなか、そのクライマックスにその内実が失われていったところにある。アイデアやセンス・オブ・ワンダーの枯渇が叫ばれ、もう描くべき未来(ネタ)などない、といった悲観的予測がSF界に充満し、多分メタSFであるフィリップ・K・ディックの作品紹介だけが元気であった。そして宇宙(スペース)を描けないSFは、内なる宇宙(インナー・スペース)に活路を求めた。......これは、求めただけである。結局、インナー・スペースものでは、(少なくとも私の)記憶に残るような作品は現れず、SF界全体が完全に浸水・沈没してしまった後で、内なる宇宙(意識)と電子回路を接続する(WIRED)という方向で、サイバーパンクものが現れたのである。このサイバーパンクとゲームの偶発的パラレル関係なども面白いのだが、風呂敷が拡がりすぎるので今回は触れず、シンプルな私の感想に戻ると、SF業界が一時活路を求めた『インナー・スペース』は、結局のところ、大正解ではなかったのか、と最近感じるのだ。ヤツら、実は案外、鋭かったんではないかい? なぜなら、インナー・スペースもので描かれるべきであった意識の内面は、その病理面が強調されてサイコ・スリラーものに、意志の力(魔法の力)が強調されてファンタジーものに、霊性が強調されて現在の『キリスト教秘史』モノに、それぞれ分解されて現れたような印象を持つからである。SFは(多分)死んだが、その躯はバラバラにされて、時間軸上に埋め込まれたのだ。 なぜか日本の出版界の状況に只ならぬ関心を持つ私は、その死体を集めるイシス(?)のような気持ちになることがある。 現在の流行の地下水流的感想は以上であるが、しかし表面的に見るとこの手の本がキリスト教的な根を持たない日本人にどれほど正確に受け取られているのか、疑問である。しかし、みんながきちんと面白がっているということは、キリスト教的シンボルは、案外日本人の意識下に浸透してしまっているのかも知れない。 しかし、正直に言えば、いままでキリスト教的な文化に親しんでいなかった人にとって、面白いのか、これ? 個人的には、話のある部分で奇跡が起こるのだが、これが現実的部分とのバランスが非常に現実的で、いい感じであった。ヒロインは出来すぎな上にも出来すぎである。こりゃぁ無理だって......。 *1 : 以下の考察は、出版界のブームから見たカルチャー史についてである。文献学的には、ブームに先駆けたり遅れて現れたりした作品はいくらでもあるだろう、多分(ランダムハウス講談社文庫)

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