2005年7月アーカイブ

すべて死者は横たわる

スターウォーズ以来のアメリカのエンターティンメントの伝統であるが、シリーズ物の三作目には父が出る。このシリーズの主人公の場合、すでに父親は他界しているので、その死がメインテーマになるのだった。 死というものは...... ......これは経験則であるのだが、初めてその人と本当に出会うことだ。その絶対的な不在こそが、通過儀礼的な哀しみの後に、その人との関係や関係の無さや、その人自身をはっきりと観せてくれる。 主人公の父親の場合、謎と「素晴らしいイメージ」を残して死んだため、主人公は大変なことになる。謎は、まぁ謎であるのだが、注目すべき点は、イメージの方で、要するに主人公は自分の思い込みとは違いダメ人間であった父親の実像を知っていくことで次々と衝撃を受け、自己不信〜憎悪にまで至りそうになるのだが、最終的には彼のダメさ加減を受け入れることで、改めて死んでいる彼とのより真実な関係を打ち立てるのだ。ここらへんは非常に感動的である。すべての人間関係は、......大人同士の関係であれば、本来そうであるべきなのだ、生きているもの同士であっても。その辺の事情は、西洋的な思考法よりも日本的な思考法の方が良く把握しているような気がする。 というわけで、個人的に私はいかに自分がダメ人間かを全開にして生きている。最近はその向きに拍車が急加速でかかっていて、どこまで堕落できるかが勝負だという程。周囲の皆さんは開いた口がふさがらないようなのだが、どうせ死後に真実は明らかになるのだ。今それが明らかでも全然問題ないではないか。多分、私の周りの人たちは、私の死後(これがなかなかくたばりそうにないのだが......)、理想化されたイメージなどで苦しんだりはしないであろう。これはおめでたいことである。(講談社文庫)
女性が書いた女性が主人公の本。キンケイドシリーズ2。 最近読んでいるメアリ・W・ウォーカーの諸作と同じような骨格である。モチーフ的にも似た要素が多い。連続して読んでいる身としては話が混ざって分からなくなりそうだ。なんで同時期に売り出しをかけるかね、>出版社。 これらの女性主人公たちは、男性との関係で、結婚という選択肢を選ばないところが同じ。私の体験でも、最近そのように主張する若い女性が多い。昔(我が青春時代)はそのような発言は、まずブラフだったが、最近はそれが彼女たちの本音らしいところが見え隠れする。男が弱くなった *1 というより、新しい価値観に彼女たちの方がより良く適応しているということかも知れない。 本の中の彼女たちには、大人の恋愛関係は大ありだし、メアリ女史の方は子供までいたりするのだが、仕事、というのではなく、人生のテーマを生きようとする姿勢や、自分の世界を生きたいという希望によって、結婚というスタイルが忌避されている。 実は、小説の主人公である彼女たちが避けているのは、「家」であるのだ。もっと正確に極端に言うと、現在の「家」システムが否応なく内蔵している「家事」システムである。彼女たちは新しい形式の家事無き「家(人間関係)」を作り出そうとしている。しかし、その完成形は明確にされない *2 。つまり、作者たちも新しい「家」スタイルを模索しているということだろう。 考えてみれば、結婚主義者である大方の女性たちの「家」への希求が個別の人間関係を破壊してきたとも言えるわけだ。 しかし、個別の、自由な、人間関係が一般的に不安定であるのもまた事実である。 矛盾を解決するためには、そのような人間関係を半永久的に持ちえる男性が現れなければならない。結婚しても自由を保てるか、結婚しなくても特定の女性との関係がいつまでも壊れない男性である。 ......こりゃ難しそうですな。 *1 : それも事実らしいのだが...... *2 : 完成形のないものなのかも知れないが......(文春文庫)

神の名のもとに

お話の基本ラインは、否応なく善行をしなければならなくなった善いことなどしたくない善人の話である。なるほど。これはいいテーマである。 カルト自体は、それほど書いてあるわけでもない。 もっと実態に迫る書き方は可能だと思う。そういう点では、過去の作品であることは否めない。 むしろ、人間が何かを信じることの原因は、環境である、という認識のもとに書かれているような気がする。『信じること』の意味を問いたいのであろう。 全然関係がないのだが、誰かを『信じる』というのは、特に若い人の場合、危ういことしきり、だ。 話をよく聴いてみると、それは、『**さんは私に悪いことは絶対にしない』ということのようで、恵まれない人の場合、そのような相手が現れることを待っていたりするようなのだが、たとえ親子であっても、関係のある人になんらかの被害を及ぼさないことはすでに人間業ではない。人を傷つけないことは、どれほど気を使ってもあり得ないことであると、残念ながら言わざるを得ない。 なので、実は恋人同士でも友人でも夫婦でも、関係が継続するということは、相手の被害、......より正確に言えばお互いの被害を、許容しているということなのである。許容できなくなった場合が、関係の解消である。ほとんどの人間関係の複雑なごちゃごちゃは、この観点から見ると大変良く理解できる。 で、誰かのことを信じたいという信念は、相手を許容しない態度なのだ。だから、信じられる人が現れることを待っている人は、関係を作ることができないで、いつも一人なのである。 私はどうしようもない人間だけど許しておくれと、言える関係はありがたいと思う。言える場がない場合、人は実体のない虚像と虚栄を生きなければならない、どんなにエライ人であっても。(講談社文庫)

コカイン・ナイト

「アルカイダ」のテロ事件が炸裂している七夕の日。丁度昨日までコカイン・ナイトを読んでいた。これはハマりすぎと言うものだろう。
危険な本、何と言ったってここに登場するテロリストの哲学には、圧倒的な説得力がある。個体主義的な人間であれば、反論するのは難しいだろう。危険だ。
いわゆる幸せな人たち、経済的に成功し、目立った人生の問題を抱えていない人たちが、リゾート地のような街で眠ったような生活を送っている。生気も無く、覇気も無い。老後も大丈夫だ、というより彼らの人生は老後なのだ。紋切り型のルールより高い愛情もない。窓を閉め切り、ビデオを見て、均質な平和の底に沈んでいる。
「テロリスト」は、そこに彼らの平和とルールを壊すような事件を発生させる。
すると彼らは危機感を実感し、目覚め、連帯し、活動し、新しい「街」を作っていく。そして自ら作った文化が生まれていく。
「社会の病理学」シリーズなのだそうである。勘違いしてはいけない。この場合、病理は上のテロ的理論ではなく、前提となる眠った社会なのだ。
幸いなことに、日本はテロを待たずして危機感に満ちている。過去さえも適当に粉飾する肥大したエゴは遠からず暴発するか周囲と衝突するかも知れない。この国にテロは要らない。私たちは眠らずに文化を作っていく。とても目出度いことではないか......。(新潮文庫)

処刑前夜

最近、本屋さんでこのシリーズ *1 がやたらと出ている。だいたい私は文庫本で古い本を探すことは滅多に無いので、なんとかフェアとか、今回のように日本の人気作家(宮部みゆき)が絶賛したとかの理由で平積みになっているのは、出会いのチャンスということで、ありがたいことです。
で、偶然とは思うが、基本的なストーリーラインが、前に触れた【カインの檻】と似通っていたので、こうやって思い返そうとすると頭が混乱加減になる。両方とも獄中の刑の執行間際の死刑囚をめぐって話が展開するのだった。
で、まぁ【悪意】に肉薄しようとする作者の努力がいじましかった【カイン】、女性心理の描写がちょっと他に類を見ない生々しさの本書、という感じだろうか、基本的な印象は......。
女流作家というのは多いが、どうも女性が書いた女性というのは、なんとなくうそ臭いというか、単なる自己正当化であるか、はたまた男性の目を意識した女性描写である感じがして、私としてはどうもいただけないことが多い。むしろ女流作家が男を描写すると面白いことが多いような気がする。
ところがこの作者の場合、そのような観点ではなく、正直に自分自身をさらけ出している感があり、そこにリアリティがあり、テーマはよく分からない *2 のだが、しかし描写が興味深い。品のないたとえで申し訳ないのだが、女性の等身大の性欲というのがどのような感じなのか、私はこれで初めて読んだような気がする。他にも、女性たちの、親への感情とか、年齢に対する感覚とか、色々勉強させてもらいました。
まぁ、私は、結構な歳なので、女性心理というのはそれほど克明に分からなくていいという気持ちになっている。すっかり『理解』してしまったら、それでお終いであって、分かったような分からないようなテキトーな理解の上で、日々驚いたり安心したりして適度に生きていけるのが良いのではないかと。それが楽しい人生ではありませんか。
それでもそこらへんを時々覗き見するのも全然やぶさかではないのですけどね...... *1 : 犯罪ライターモリー・シリーズ *2 : 死刑制度のようだが......(講談社文庫)

カインの檻

プロファイリングは、個人的には、信頼ならない。サカキバラ事件の時に、アメリカの有名なプロファイラーが来て、なんともいい加減なことを言っていたではないか。多分、心理学というものは、せいぜい精度の高くない統計論・一般論であり、人間のさまざまなあり方、その個人的な部分は、容易く『学』にできるようなものではないのだと思う。どんなに生物学的に共通であっても、人間には個々に独自な部分があり、そこにこそ自由と愛の根拠があるように思う。
で、そのプロファイル経験のある著者が書いたプロファイラーを主人公にしたスリラーである。なので当然、作中ではプロファイリングがばりばりと的中するのであった。お話は、楽しめたほうが得だ。ありえないと思っていても爽快であれば可。
若干の瑕疵。ゲーテは、雲を見て、未来の天気を正確に予言することがあったという。ほかの人には分からないその空の様子から、数時間後の雨を感じ取ったらしい *1 。なぜ彼が未来の天気を感じたか、多分ほかの人にそれを言葉で説明できなかっただろう。プロファイリングがあり得るとしたら、そのような形になると思われる。
この作品の主人公造形の発想原形になったと思われるジェフリー・ディーバーのリンカーン・ライムシリーズでは、主人公とその弟子兼恋人の捜査の描写は、そこらへんを描き出しているのだが、残念ながらこの作品ではすべてが論理的説明に終始する。しかし逆に論理的な人にはこちらの方が入り込みやすいかも知れない。
既存作品から色々な観点を借用しているようで、各種ベストセラー作品からインスパイアされたと思われる設定・プロットが気にはならないこともない。しかし作者はそんなことはどーでも宜しいと思っているようで、それよりは文学的考察を大事に考えているらしい。
つまり文学を目指したスリラー。文学は怖い。
*1 : 専門用語では『対象的思考』というのだが(文春文庫)




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