ニューヨーク大聖堂

最近の小説は大作ブーム・長編ブームも定着し、しかし大作なのはつかの厚さのみで、読後に思い返してみるとそれほど込み入った話でもないような作品が多く、しかし私の方もそれに毒されて背表紙の薄い小説は手に取った時になんとなく物足りなく感じてしまうという少々妙なこのごろであると思う。
小説の『量』というものに、一定の価値が見られるようになってきたのではないか。少なくとも私はそのケが出てきたようだ。
以前、後輩の某女史が某出版社でバイトし、『ウチの**(女性誌)は、**(女性誌)とか**(女性誌)に比べて読むところがいっぱい有るし......』と言うのを聞いて、文章量を自慢している彼女の物言いに、『文章の文字数が多ければ偉いというものでもあるまい、問題は中身だろ』と微笑んでいた私であるが、最近は『これだけの厚みがあれば那須までの電車の中、途中で読み終わってしまい、手持ちぶさたになるということがないだろう』とか、以前の私の感覚からするとどーしよーもないことを考えていたりする。人間はある年齢を越えると堕落するのである。むしろどこまで堕落できるかが勝負だと思っている。
文庫本でつかが4センチ以上あるというものが巷に溢れている中で、上下巻に分かれているとはいえ、どちらも厚みが1.5センチほどであり、『たかがサスペンス・ミステリー』、気楽な気持ちで読み出したが、しかし読み進めていくとプロットが、巷の他の諸作品とは一線を画す密度を持っていることに気が付いた。非常にきっちりと構築されており、内容密度でいうと同種の作品の数倍はありそうである。色々な問題やドラマや性格・人格、恋愛感情等々が通常の扱い方より一歩踏み込んで描き込まれており、善悪の概念も事実に即して、単純に善玉悪玉を分けるものではない。
というわけで、テーマではなくて、小説的密度が圧倒的な作品でした。(講談社文庫)

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