2005年4月アーカイブ

耽溺者(ジャンキー)

コディアック君シリーズ番外編。女性描写に異様に長けている作者による、本編主人公の恋人ブリジットのお話。
......前作で化けた小説力がそのまま続いていて、やはり破格の名作。微妙にしかし、倫理的に混乱していて、それが魅力だったシリーズだが、ここへ来て良い意味での道徳小説と成長してしまった。テーマ(道徳的お説教)は、友人のために自分をダメにできますか、である。この言葉だけだと辟易するが、ダメにする、というのがなにしろ麻薬 *1 であるから話がそれほど臭くならない。主人公の努力が非常に切実な体験として響いてくる。
いい話なんだ、泣いたぞ、俺は。
そして当然ながら女性描写に長けた作者の筆はその作品中もっとも魅力的な女性キャラクターを主人公に据えて向かうところ敵無しの描写を次々と繰り出すかと思えば、そこらへんはそうでもない。その突飛な行動が男の視点から語られてこそ、この主人公の魅力は最大限に発揮されるのであるようだ。まぁここらへんはスピンオフしたキャラクター達一般に言えることだが、作品内人間関係から切り離されたキャラクターは、自分自身であることが難しいのである。さらに作者が内面にドラマの仕掛けを作ってしまったりするから、まったく独自の存在になってしまったりする。シリーズ登場時にはなかった内面の深みを備えてしまって、その深みが本編と相容れないというケースは、これは日本のアニメに多くないか? もちろん、この作者の場合はそこまでひどくはないのであるが......。
ここのところしばらくルッカが続いたが、残すところあと一冊である。それが終われば、電車の中がまた寂しくなるなぁ......。
*1 : 私の友人にモノホンの元ジャンキーがいるが、彼の体験によると数週間で薬を抜くことはけっこう可能であるらしい。しかしメンタルな面での抑制が非常に大変で、よほど意志の強い人間でないとあかんのだそうだ。禁煙程度でことごとく失敗しているあたしなんかではまるっきりダメだろう。もっともヤクどころか風邪薬も摂らない薬恐怖症なので、そんな状況にはならないとも思うが......(講談社文庫)

暗殺者

単純明快に、これは名作である *1 。コディアック君シリーズだが、前の2作とはスリラー小説としてはほとんど別物と考えていいと思う。
魅力的な女性キャラクター達 *2 は前作同様だが、なにより自然で無理なく頭に入ってくる話の流れを作り出していて、一般的な起承転結とは違うのだが、どのようにしたらこの流れを生みだすことが出来るのか教えて欲しいぐらいだ。はっきり言ってしまえば前作の出来には微妙に同情(!)していたぐらいなのだが、ここまでシリーズを読み進め、『作者(クリエイター)の成長』という現象に直面して、私はほとんど面食らっているのだ。一体作者は何をして成長したのだろう? 大恋愛とか大失恋とかしたとか、あるいは座禅でも組んだのだろうか? 大人も成長できるらしい。あたりまえだが、実は世間に実例はなかなか無いのである、私を含めて。
*1 : ちなみに、『暗殺者』と名前が付くと、例のラドラムの作品を例に挙げるまでもなく、なんとなく名作度が高い気がする。
*2 : この作者は、どんな女性も魅力的に書いてしまう! 一体どんな私生活を送っているのか(講談社文庫)

百番目の男

正直いってサイコモノはかなり食傷気味で、しかし新刊はほとんどすべておサイコじゃないのかという状況は、まだまだ続いている>出版界。
理由は二つ考えられ、ひとつは作者・出版社たちの発想力の貧困で、もう一つは結局のところ読者たちの感受性が、サイコでないと感じないほどに鈍磨してしまっているのではないかということ。
結局のところ人間は、毎日毎日同じ刺激量では、薬を飲み過ぎる人が耐性が出来てしまい効かない体になってしまうように、それに慣れて感じなくなってしまうものである *1 。タバコの本数は増え、車のスピードはアップし続ける *2 。精神的なことでもそう。これはあらゆる局面に当てはまる人間法則だが、スリラー読みもこの法則に則り、刺激になれてサイコものに至り、もうそのぐらいの刺激量でないと満足できないという状況なのかも知れない。
 で、この小説もサイコなのだが、それはエサで、読後印象に残るのはアル中で苦しむヒロインのドラマであったりする。アルコールも増えていき、最後には飲めない量を飲まないと満足できなくなってしまうものらしい。
 タネは、またしてもオタクの戯画ですね。びっくりですけど、よく考えると。
*1 : 長年同じ刺激で丁度良いということになれば、それは老人の証みたいね......。
*2 : 私のことではない(文春文庫)

狂信者の黙示録

ブルース・ウィルスが映画化するというが *1 、なるほど面白かった。いつもの通り、気になる点が2点。
この手の作品を読むと、どうしても映画を文章化したような出来に困惑してしまう。もっともこの作品の場合、映画であればかなり出来のいい映画と思われるのではあるけれど。
解説を書いている人は、面白ければ映画みたいな小説だっていいじゃん、と言っているが、私としては、映画と小説、マンガ、TV等々はそれぞれ違った面白さを持っていて、本質的な作品とはその表現形態の面白さを十二分に引き出している筈、と思っているので、映画の脚本みたいでそれでもページターナーというこの小説みたいなのには、釈然としないものを感じてしまうのである。『お話』だけであればどのメディアの素材にでもなるだろうが......。
もう一つ。悪役のボスがカルトの教祖であり、それはどうでも良いのだが、彼が若干の超能力を持っているのだ。超能力の悪役なんて珍しくもないが、しかし、気になるのはその超能力(『感情移入能力』 *2 )を、出し物ではなく、現実の一要素のようなニュアンスで描いていることなのである *3 。つまり、この作者、もしくは現代のアメリカにおいては、感情移入能力は、すでに日常のボキャブラリー、コモンセンスの中に実在するものとして入ってきてしまっている(らしい)というのが、けっこう驚きだった。作者のヘンなところと訳文のヘンなところの相乗効果でそのように読めるだけかも知れないが......。
しかし文化の変化は、宣伝なんかしない。ひょっとしたら気が付かないところから少しずつ始まっているのかも......。
*1 : しかしNET上には情報がないぞ、ぽしゃったの? *2 : 文字通りの意味だが、一応ウンチクっておくと、他人に内面的に同化する能力のこと。そしてその同化は主観的ではなく一種の客観性を持ち、その人の考えていることや感じていることを直接知ることができる、とされる *3 : もう一つの超能力、【リバースボイス】に関しては、非日常的なネタとして扱っていた。リバースボイスの能力ならあたしも欲しい。話した言葉を録音したテープを逆転再生させると別のメッセージが聞こえてくんの(創元推理文庫)
 この本に照らすと「オタク」というものは、以下のようになる。
『メディア作品の内容を自分の内的世界とし *1 、それとは異なる外的世界の中で *2 、その自分の内的世界を実現しようとする人 *3 』  これは、特に「オタク」が出てくるわけではなく......(伏せ字)実は犯人がオタクなのだ......、最後に主要な登場人物の一人が大事に持っていたメモが登場し、その内容というのが、非常に稚拙な映画のプロットで、けっこう衝撃、さらに、彼の作りたかった映画の中身がよく分かってしまう自分に対して再度の衝撃という、実にディープな内容を持った小説。
 ただ、まぁ、上の定義の「メディア作品」を、「特定の見解」とか「お母ちゃんの意見」とか直すと、それは普通の人だよね、ということになり、結局怖いのはデフォルメされた外からのインプットによって自己実現しようとするすべてのみなさん、つまりほとんどすべての人、だったりするのですが、いかがですかね。(意味不明? 時間不足でごめん) *1 : 頭の中が昨日見たテレビやマンガでいっぱいってこと *2 : まわりの人たちはそんなにアニメや映画なんかを観ていなかったか、集中し自己同一化して観ていなかったってこと *3 : アニメのキャラクターみたいな人間を捜したり、なろうとしたり、部屋を漫画本で埋め尽くしたりするってこと(講談社文庫)

ほめるな

 自慢じゃないが、講師としての私は天地がひっくり返っても生徒さんを褒めない。昔はやってみたこともあったのだが、どうも結果が芳しくなかったのである。つまり生来のS的部分のある気質とか、てめぇの生徒を褒めるなんて照れくさいじゃねぇか、とりあえず叱っておきやがれ、ってなことばかりではなく、一種の経験則として、生徒さんの中から最大の成果を出しうるために、私はほとんど生徒さんをほめないのである *1 。  で、多分そのような同好の士(?)の教育エッセイ。あたしは安心した。世の母親、および母親予備軍の方達にお勧めしたい。 *2 ......時代の現実的なところは、反対方向だからだ。例のADHDとか虎と馬とか、そこらへんとリンクして『いいところを見る』、『褒める』、『叱らない』育児姿勢は、子供の本当の姿を見ない逃げ腰な態度と一体と化し、それ自体が新たな母親達のノイローゼの種になりつつも、破竹の勢いで日本を蹂躙しているからである。巻き込まれると、大変なんだ、あれは。 *1 : この態度は、以前CG系最大大手のスクールで、問題になったことがある。講評会に呼ばないわ、発言させないわ、スタッフが滅茶苦茶圧力をかけてきたことがあったのだ。生徒さんが傷ついて学校の評判が下がるのを心配したのかも知れない。ところがあたしは鈍感なので圧力にはけっこう強いのだね。生徒さんの支持もあり、さっぱり気にならなかったと思う。あのバカスタッフ達、今はいずこへいったやら、である。どーでもいーのだが *2 : 教師には勧めない。結局のところ、ほめないこと、叱ることの出来ることは、その教師本人の気質とか体質の問題であるように思うからだ。叱ればいいのかと、これをマニュアルにして叱るのでは、マニュアルに沿って褒めるというここで一番問題視されている態度とあまり変わらない。(講談社現代新書)




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